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旧イリアイ町界隈には『たまりみず』という名のサビ崩れたカフェがあります。そこでは、退屈に閉じ込められた他愛の無い、やっぱり退屈なお話がたっぷり詰まっています。そんなお話たちの一片をごらんになれる地球で唯一の場所。。

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夏の風物詩 ~ナツイチ~ 

http://bunko.shueisha.co.jp/natsuichi/lineup/index.html

夏はもちろん読書の季節でもある。

ただしクーラーのよく利いた室内では・・という絶対条件付だ。

どうしてかというと、夏は眠りが浅い季節だから、本をたっぷり読んでも眠くはならない。

キンキンに冷えた部屋でアイスコーヒーを飲みながら、孤独に読書に耽る。

そういう時間は実に有意義だ。

出版各社も、集英社の『ナツイチ』のように文庫本を集めて企画をし、青少年の読者層獲得に躍起だ。

で、この『ナツイチ』 ただ眺めているだけでも、けっこう楽しい。

ウソだと思うなら読んでみよう。

それでもやっぱりウソだと思ったあなたとは、もはや会話できない。

と言うのはウソで、上っ面だけの会話だけならしてやってもよい。


ついつい読んでみたくなる本の紹介がぎっしり詰まっているのだ。

中でもボクが読んでもいいかな、と思えた小説を一部紹介しよう。

ちなみに、勝手ながらボクが以前に読んだことがある小説は省略させていただく。

kobato.jpg


konnbuki.jpg


otu.jpg


origa.jpg


笑える小説らしい『なかよし 小鳩組』とりあえず、笑っておきましょう、景気づけに。

感動モノと呼ばれるものを読んで感動したこと無いんだけど、つい手がでちゃう『コンビニ・ララバイ』

実は乙一、読んだことないんだよね。中高生の支持が多い、とかで安っぽいんじゃないかという先入観。まあ読んでみないとわかんないんだけど。タイトルはバランス良くてキレイだよな。

『オリガ・モリソヴナの反語法』表紙絵がいいよね。タイトルもまあいい。

さあ、夏は読書とアイスコーヒーだ。
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2006/07/26 20:56|風物詩を語るTB:0CM:0

夏の風物詩 ~風鈴~ 

20060726201706.jpg


うわぁー、見事に涼しそうである。

夏の暑さが産み出した先人の知恵の結集である。

いくら昔の人が我慢強いからといって、真夏にクーラーも氷も無い時代はさすがに想像するにも恐ろしい。

熱帯夜のクーラーの故障は、我々現代人には死活問題だ。

着物を脱いでフンドシ一丁で寝ていても暑さは治まらず、頭からぬるい水をかぶっても暑さから逃れることの出来ない先人たちは、藁をもすがる思いで風鈴を開発した・・・と思うと涙ぐましいではないか。

なにせ音である。

涼風に当たって体感温度が下がる、ということは無い。

暑さも寒さも気から。

気分次第で暑くも寒くもなるのだ。

風鈴の涼やかな音を聴きながら床に就けば、不快指数200%の夜もやわらぐというものだ。

風鈴は役に立たない、と思ってはいけない。

先人の崇高な精神性はあっぱれである。


風鈴というと、京都に越してきてまず初日にベランダに取り付けたことを思い出す。

見た目も涼しいガラスの風鈴もいいが、よく音の響く金属製の風鈴がいい。

京都に越してきたことが嬉しくてたまらずあちこち行った。

そのとき清水寺近くのショップで風鈴を買った。

大得意となって、ベランダへ吊るしたというわけだ。

リン♪り~ん♪と確かに涼しい音がして、すっかり気に入ってしまった。

ところが、しばらく家を空けた隙に、何者かにその風鈴が盗まれてしまったのだ。

とんでもないヤツがいたもんである。

そこまでして涼しくなりたいのか?

・・と思うと盗んだヤツが間抜けに思えてきて、ひとり笑った。

あるいは盗まれたわけではなく、近隣住民に耳障りだと取り外されて捨てられてしまったのかもしれない。

今となっては真相はわからない。

風鈴。

先人の知恵の粋を集めた傑作。

夏の風物詩のひとつに数えられよう。
2006/07/26 20:17|風物詩を語るTB:0CM:0

祇園界隈。 

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2006/07/25 19:10|京都市内散策TB:0CM:0

夏の風物詩 ~落雁~ 

お店が関西空港に近いため、外国人のお客様が非常に多く、店内では常に英語、中国語、韓国語などが飛び交っており、いつも対応に手を焼いている。

何事かあると、必ず内線でボクか店長が呼ばれてしまうのだ。

英語はまだしも、中国語はボクの語彙力では、『ニーハオ』『シェイシェイ』『サイチェン』『ハオチー』くらいしか無く、しかも発音についてもかなり疑わしい。

韓国語となると更によくわからない。

まあ、そのうちわかるようになるだろう。。

なるのか?(汗)


昨日、売場で盆菓子を持ってウロウロする白人男性を見かけた。

見るからに旅行者。

店頭コーナーに飾っていた盆菓子を見て、目を輝かせたのだろう。

うむ。確かに見た目は大変美しいかもしれない。

食べるもんじゃないのになあ、わかってないね~。とか思っていたら、案の定レジから内線で呼ばれた。

駆けつけてみると、先ほどの外国人である。

やはり・・。

手にした落雁を見せて、
「これは食べれるの?」

「食べれないこともないけど、砂糖の塊で見た目ほど美味くないです」

「じゃ何に使うの?」

「ニッポンの古くからの文化で、お墓や仏壇にお供えするのです」

「えっ!お墓!」

と言うと、大笑いして帰って行った。(汗)


確かに食べて美味い落雁もあるかもしれないが、スーパーで売っているようなものはほとんど食べないだろう。

その前にボクの実家は天理教なため、こういった仏事にはまったく縁がなく育ったのでよくわからない。


落雁(らくがん)は、米などから作った澱粉質の粉に水飴や砂糖を混ぜて着色し、型に押して乾燥させた干菓子である。名は近江八景の「堅田の落雁」に因んでつけられたという説と、中国の軟落甘の「軟」が欠落したという説とがある。

落雁の製法には二通りある。

すでに蒸して乾燥させた米(糒)の粉を用い、これに水飴や砂糖を加えて練り型にはめた後、ホイロで乾燥させたもの。
加熱していない米の粉を用いて1.同様に水飴を加え成型した後、セイロで蒸し上げた後、ホイロで乾燥させたもの。
1.は通常落雁と呼ばれる物であり、2.は白雪糕(はくせつこう)と呼ばれるものである。 2.は新潟県長岡市の越の雪が有名である。ただし、改良の末、1.に限りなく近い製法となっている。

製法は明時代の中国における軟落甘(小麦粉・米粉を水飴や脂肪で練り固めて乾燥させた菓子。西~中央アジアに由来するといわれ、元時代に中国に伝来した)に基づき、室町時代に日明貿易で伝わり、茶道の勃興によって広まった。なお、中国にはこの軟酪甘が現在も存在しており、長崎市には軟落甘が江戸時代に再上陸したものとしてこうさこ(口砂香)と言われる落雁がある。

江戸時代には加賀藩が大々的に製菓事業に対して奨励策を取った事から、金沢市では落雁の技術が進化しており、長生殿はこうした成果の一つである。なお、この原料である糒は軍事作戦には不可欠の食料であるため、奨励策は軍備維持における糒の在庫処分ではないかという説もある。

また、松江藩でも松平治郷(松平不昧)が茶の湯と共に和菓子を奨励したため、山川という落雁を生み出しており、前述の越の雪・長生殿と共に日本三大銘菓として挙げられている。

このように茶席菓子や供物などに用いられることが多かったことから、

茶の湯では薄茶点前に供される定番の菓子となっている。また、仏事等の供物として用いられることも多い。このことから、落雁は和菓子の中でも高級なものとされている。


中国には、雲片糕(ユンピエンガオ、yúnpiàngāo)と呼ばれる、薄手の落雁がある。



ということらしい。毎年販売してきたが、販売者などはどこへ行ってもいい加減なものだ(笑)実際は知らないことだらけである。

20060725155328.jpg

確かに、外国人が見たら、思わず衝動買いしたくもなるかもしれない。

ニッポンの夏の風物詩のひとつ。

さて、夏気分が盛り上がってきた。
2006/07/25 15:57|風物詩を語るTB:0CM:0

今年の夏も待ち遠しいですか? 

今年の夏も待ち遠しいですか?

と聞かれて、そりゃあ夏が待ち遠しいに決まってる、と思えているうちは、ボクもまだまだ若い。

そうして、若い精神性が維持されていることに気づき、ほっと安堵感が漂ってしまった。

九州地方では先日からの集中豪雨で、とんでもない事になっているが、そろそろ梅雨も明けて、いよいよ夏本番が始まる。

当然、夏が始まっても、仕事の忙しさは何ひとつ変わらず、ただ暑いだけの夏・・で終わるのは避けられない。

祇園祭も天神祭も花火大会も、ボクも今年の夏のプランには入っていない。祇園祭はもう終わってしまったか・・。


だけれども、暑い夏がいい。

毎日、暑い暑いとうなだれながら、しかし夏がいい。

それもスカッとよく晴れた、真夏のでっかい太陽がギラギラ輝いた、身を焦がすような夏がいい。


子供の頃・・・といっても随分大きくなってからでも、夏休みとなるとボクは頻々と淡路島の別宅で過ごすことにしている。


山の頂上付近に死んだ祖父が建てた家。


今はすっかり主人を失い空家となっており、祖母が定期的にメンテナンスに通い維持されている。

山上からは海が一望できて、早朝釣りにゆく朝は水平線からぼんやりの曙光が美しい。

海が見える反対側には段々畑が昔はあり、深い谷になっていて、真夏でもクーラーの必要を感じたことが無いほど、窓を開けると涼風が吹き込んでくる。

ご近所に一軒だけ農家があって、爺さんひとりが牛と暮らしていた。

亡くなった後は廃屋となっている。

周辺の小道を散歩中、唐突に牛がぬすっと現れたものだから肝を潰したこともあった。


山の中にはいくつもため池があって、あるときはトンビの集団に遭遇したことがある。

50羽以上はいただろうか・・。

小さな干上がりかかったため池にあつまった大きなトンビたち。

ボクの存在に気がつくと、一斉に空に舞い上がった。

木々の間から見えるトンビの群れに畏れのような感情に襲われたものだ。


夏休みの人気の観光スポットとしては海と山が両方あるところ、だろう。

歩いて一時間程度で麓に降り、すぐに海が広がる。

地元民が数組しかいないビーチで泳ぐ。

子供の頃はよく銛で魚を突いたもんだ。

突いた魚は天ぷらにして食べた。


陽が長いためか、夏の時間というのは時間がゆっくりと流れているように思う。

山上の別宅には、思えば古いテレビが一台あるきりで、トランプやUNOをして散々長い夜の時間潰しを繰り返しているが、こういうときでもない限りトランプなどやらないから、いい機会かもしれない。


もうすぐ、ボクの夏休みが始まる。

今年の夏は久しぶりに淡路の別宅で過ごそうと思っている。

たまには時間の流れる速度が半分になるような、ぼんやり過ごす休日も悪くない。

最近、セミがあちこちで鳴き始めた。

いよいよだなあ。
2006/07/25 10:57|風物詩を語るTB:0CM:0

【冒頭のUTA】 たまりみず  

   たまりみず


地中深くには水脈がある

そこが砂漠や氷土でない限り

無数に張りめぐらされ

絶えず流れをもっている

地から萌え出た芽にも

街路樹にも水脈が

手の平でつぶれた小虫の中にもやはり


街灯にも電信柱にも郵便ポストにも

私の視界に入るもの全てに

もはや水脈があるとしたら

あなたの中にも水脈があり

わたしの中にも水脈がある

我々はひとつの水脈でつながり合っていることになる


森の中で耳をすませたことはないだろうか

すさまじい勢いで水を吸い上げる音は

この世の生命の証だ

世界は常に動き続けている

毎秒ごくわずかづつではあるが

草木は伸び 草木は枯れる

子供は育ち 大人は老いる

もっと大きなことを言えば

毎日一万人の人が死ねば

毎日一万人の人が産まれる

人だけのことではない

動植物ありとあらゆる生命についても

やはり同じことがいえる

それらはすべて

ひとつの水脈によってつながりあっている

地球誕生の頃より水は

何度も蒸留され使い回されてきた

たったひとつの水脈を循環するために

水とはつまり

我々自身のことだった

そしてその我々自身が美しければ

世界はずっとすべてが

美しいのだ



2006/07/25 01:00|冒頭のUTATB:0CM:0

地表に広がる星々 

疲れて帰る夜の電車の車内で眠ることはあまりない。

なにをするのでもなく、ぼんやり車窓の風景を眺める。

朝でも昼でも、何も見えない夜でも、やはり外を眺めている。

都市部から少し走ると、ネオンの明かりが届かない闇が続く。

街灯と家の明かりと。

ひとつひとつの家の明かりのもとでは、今日も誰かの人生が活動している。

ボクのまったく知らない、まったくの他人の人生が、この明かりのもと、確かに存在している。

ひとりの人生か、ふたりの人生か、四人の家族の人生か、ひとつの明かりのもと、確かに人間が生きている。

車窓から眺められる明かりの数でも、星の数ほどもある。

地表に広がる星のようでもある。


街に出れば、毎日多くの人とすれ違う。

すれ違ったほんの数秒間の他は、もはや二度と会わないだろう人がほとんどだが、地球上ではボクの人生と平行して、やはり確かにみんな生きている。


これは至極、当然のことだ。


しかしこの当然のことさえ、改めて気づかなければ、意識せずに過ごすことだってできる。

貨幣経済とは、他人の人生と関係なく生きることができるってことだ。


車窓に広がる明かりのもとに存在する、まったくの他人の人生の数々。

ボクの想像力は十分だったのかな?

他人の人生を意識しない生き方をする人間が増えれば、世の中は上手くいかなくなる。

誰かの人生を無視する代わりに我々は、日々怖れながら暮らさねばならない。

2006/07/18 10:29|My だいありーTB:0CM:0

プロフィール

ろんど

Author:ろんど
高校時代に伝説のパンクバンド『Felicitous Dog』のメインボーカルとして活躍。ライブ活動多数。「今夜はオレのためにありがとう」などのMCで一躍脚光を浴び大スターの座に躍り出た。高校3年の学祭ではトリを務め、全校生徒を完全に魅了した。バンドは高校卒業時解散。
その後デュオ『Power of myth』のメインボーカルとして再び音楽活動に入る。神話的イメージとタンゴ調POPSの融合を試み新しい音楽の創造に尽力、友人、知人、他人、周辺住民の間で一世を風靡した。活動期間わずか4年で解散。
一方、大学在籍一年時に非公認サークル『創作文藝会』を有志4人らとともに創設。初代~3期の会長に就任。文芸同人誌 『ん!?』の編集長として創刊号から第9号まで手がける。
自身も小説、ポエム、エッセイ、旅行記など幅広く投稿し作家としての一面も合わせ持った。淡い青春時代の虚栄心を克明に描いた処女作『はげ』で衝撃のデビュー。『正常な狂人』『路地裏メルヘン倶楽部』『テープスペクタクル』『シルエット』『おやっさんの体験談』『山田X』『光芒の黒』『循環』など次々とヒット作を連発し、ファンタジックな世界観をやさしく流麗な文体で表現した悲喜劇が主に女性読者層のファンを集めた。また自身の旅行記を著した『中国おったまげ探訪記』『インド・ネパールぶったまげ放浪記』などアクティヴ派作家としての一面も持ち、抱腹絶倒で痛快な文体は学生諸君に夢と希望を与えた。詩人としては、銀色夏生をもじったペンネーム 金色なめを で純情恋愛ポエムを次々と発表。学内の話題を総なめにした。他、読書案内の『ろんどのやけっぱち書房』シリーズ、映画紹介の『寝巻きでシネマ館』シリーズなどがある。
第3期目には非公認サークルから大学公認クラブへと昇格させ、大学から予算がおりるようになるやいなや、連日連夜に渡って放蕩の限りを尽くした。
学生時代はインド、ネパール、インドネシア、中国、西欧諸国等海外放浪をライフワークとした。おかげで日本社会に馴染みきれないもどかしさがある。

現在はしがない会社員。一児の父。趣味は散歩と昼寝の他、特にない。座右の銘は『私が自画自賛しなければ一体誰がしてくれよう』である。

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