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旧イリアイ町界隈には『たまりみず』という名のサビ崩れたカフェがあります。そこでは、退屈に閉じ込められた他愛の無い、やっぱり退屈なお話がたっぷり詰まっています。そんなお話たちの一片をごらんになれる地球で唯一の場所。。

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【RS】プ~ねこ 

プ~ねこ プ~ねこ
北道 正幸 (2005/01)
講談社
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ボクは、はっきり言って猫派だ。

いくらO型のボクでも、世の中の人間の全てを犬派と猫派の2種類に分けるなんて大雑把なことは・・大雑把というより凶悪だね。

別にハムスター派でもウサギ派でもフェレット派でも、リスザル派でもいいわけで・・・

リスザルってと、最近お仕事中にたまに職場の上にあるペットショップでリスザルを眺めてるんだ。

指の先を近づけたら握手をしてくれる、かわいいヤツさ。

ほんとに小さくて不思議な生き物だ。


と言いつつ、ボクはやっぱり猫派であり、猫が好きだ。

ただしボクは猫アレルギーで、猫に触れたところが赤くかぶれるのはどうしてなのか?(苦笑)

猫と触れ合い過ぎたんだろうか。

まあボクが猫好きだという話は実は本題とまったく関係がないんだけど(笑)わりといいセンスで描かれているマンガです。

オススメ。
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2006/08/31 00:22|ロンド・セレクションTB:0CM:0

【書評】八月の路上に捨てる 

八月の路上に捨てる 八月の路上に捨てる
伊藤 たかみ (2006/08/26)
文藝春秋
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平成18年度 上半期のただいま話題中(?)の芥川賞受賞作について。

脚本家を夢見て、いつまでもうだつがあがらない30歳の敦は、自動販売機のジュース補充のアルバイトをしている。

トラックは二人一組でルートを回る。社員の水城さんは敦の少し年上の女性。ふたりはいつものようにルートを回っていた。この日、水城さんはルートドライバー最後の日だ。

明日よりの異動で部署が変わり、トラックを降りることになっている。

この日、水城さんは離れて暮らす子供と食事の約束があるため、18時までに仕事を終わらせようと急いでいた。

水城さんには離婚経験があり、現在はシングルマザー。子供を養うために女だてらトラックに乗り真夏のジュース補充というキツイ仕事をしている。

敦は明日にも離婚届を役所に提出する身。

水城さんにしつこく離婚に至る経緯を訊ねられ話はじめる・・・


とまあ、ふたりの離婚談義が、この小説の主題だ。

これ以上のものも以下のものも何もないし、離婚の話。

敦と水城さん、敦の妻の知恵子の三人で、ほぼこの小説は出来ているくらい、単純な内容。

ぽつぽつと面白い言葉の表現はあるし、構成力が高くてよくまとまってる。

けど、新しくない。

小説をつくる技術ばかりを評価しなければならない現状が悲しい。

芥川賞っていうのは新人賞だろ?有能な新しい作家を世に送り出すためにある賞じゃないのか?

ボクには『八月の路上に捨てる』を読んで新しさはわからなかった。

現代社会で、現在起こっている現象や事件や問題や、そんなことを正確に映し出してみて、それって小説としての価値があるのか?どうか。

ボクは基本的に本を読むのが面倒だと思う方で、できることならテレビやラジオで済ませたい。

ドキュメンタリーやドラマ化してそれで面白ければ、それでいいじゃないか、と思う。

小説の面白さというのは、映像や音声では描ききれない言葉の深みだ。

わざわざ面倒な思いをして読ませるのだから、それなりの内容を求める。

文藝春秋の書評の欄で村上龍が書いていたけど、「伝えたいことがわからない」

つまり、一体何が言いたいのかわからない小説。

『死』や『愛』や『友情』や、テーマは単純でもいい。

伝えたいことを明確にした上で、その伝えたいことの投影体として物語はあるんじゃないか?

こういう考えも、ある意味で型にはめてしまう危険性はあるんだけど、今回の場合、ボクも村上龍と同意見だな。

なんだか見た目、背油入りの濃厚なとんこつラーメンで、実際食べてみるとコクが無くてスカみたいなラーメンを食わされた気分がした。

読後感が悪い。

いじめや引き篭もりやニートやリストラや自殺やら、暗い話はもう十分だろう。

現在起こっていることを書くのではなく、これから起すことを書いて欲しい。

起きることではなくて、起すこと。

新しい価値観を作り出してこそ、文学は芸術だし、これこそが文学の力じゃあないかな。

良くも悪くも先の文学者たちが辿ってきた道は、そうじゃなかったのか?
2006/08/26 20:00|未分類TB:0CM:3

第29回 京都こども美術展。 

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息子の絵がめでたく出品したというので、朝からサイクリングがてら、平安神宮の近く「みやこめっせ」まで走った。

会場はざっとこんな感じ。京都じゅうから集められた小学6年生までの絵が展示されている。

ほとんどは保育園児の絵で占められていた。

ひとつひとつ丹念に眺めた。

人はみんな生まれながらに天才で、天才であり続けるのが困難なのだ、というピカソの言葉がふいによぎるほど、どの絵もすばらしい。

へーとか、ほーとか感心しながら、たっぷり楽しんでしまった。

思わず写真に収めた。

京都こども美術展、今回の膨大な出品作品のうち、ボクが特に感心したものをいくつかご紹介。

それではロンドセレクション、スタート♪

一番下の絵を除き、全て小学校へ上がる前の幼児の作品。

ちなみに知事賞や他の受賞作はボクのセレクトにはなし。大人たちが選ぶ絵とボクの感性に大きなズレを感じてしまったり。。


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うーむ。4~5歳の幼児が描いたとは思えないバランス感覚。豊かな感性を感じました。


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Tシャツにプリントして着ちゃいたいな、と思えた作品。


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幼くしてアートが解ってるなあ。


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面白い顔。こういう表情って描くのは難しいんだよなあ。素晴らしい。


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まとまりが良く、この絵もバランス感覚に優れてる。色彩センスもOK。

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子供って画用紙いっぱいに描くんだよなあ。絵に迫力が出ます。

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息子と同じ5歳の子が描いたとは思えない(笑)キレイな絵です。


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ごちゃごちゃの中でもしっかりバランスが取れているのが◎ファンタジックな豊かな想像力も◎


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画用紙に紙粘土を貼り付けて立体的な絵に仕上げてます。こういった絵がもっともっと出てきたら、もっと面白い美術展になるのになーと思うのはボクだけでしょうか。絵は紙と絵の具だけで作るものとは限らないですよね?


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なんじゃこりゃ、と拍子抜けした作品(笑)言わずと知れた息子の絵です。なぜ選ばれたのか理解できないんだけど。理解できなかったボクが甘かった、としておきましょう。


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この絵は唯一ボクが選んだ小学高学年の絵。竹の質感と、美しい色彩に思わず立ち止まってしまった。


2006/08/18 22:39|ロンド・セレクションTB:0CM:0

【R☆S】夏と花火と私の死体 

夏と花火と私の死体 夏と花火と私の死体
乙一 (2000/05)
集英社

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乙一の小説を読んだのはこの作品がはじめてだけど、とりあえずは、よく書けている力作だと思った。

この作品が発表されたのは、作者が17歳で高校生。この作品を書いたのは16歳の頃だという。

文庫本の解説で小野不由美が、文芸評価に年齢は関係ないと書いているが、まったくその通りだと思うし、ボクもそういう目でこの小説を読んだ。

田園風景広がる地方の村の夏を舞台に、健、弥生、わたしである五月が織り成す4日間の物語。

幼馴染の健が好きだと告白したわたしは、同級生であり健の妹である弥生に、あるとき木の上から突き落とされて殺されてしまう。

わたしが死んだところから、物語が始まる。

現場を健に目撃された弥生はとっさに嘘をついた。

「一体全体どうしたんだ、弥生?」
まるで子供を泣きやませるように、弥生ちゃんと死体に優しい微笑を向けて、健くんはそう訊いた。そしてわたしに近寄りながら言った。
「五月ちゃん、死んでるじゃないか。弥生、泣いてちゃわからないだろ、何があったのか話してみなよ」
私が死んでいることを簡単に確認してから、健くんは笑みを浮かべたまま弥生ちゃんに言う。その笑みを見て、弥生ちゃんを泣きやみ、それでも苦しそうに、ぽつりぽつりと涙声で言った。
「あのね・・・いつもの枝でお話してたらね・・・五月ちゃん滑って落ちちゃったの」
「そうか、滑って落ちちゃったのか。それじゃあ仕方ないさ。弥生はなにも悪いことなんかしてないんだろ、だから泣くのはやめなよ」



死んだことがお母さんに知られては悲しむだろうし、死体を隠してしまおうということになり・・健と弥生の死体隠しの物語が始まる。

作品中、終始、殺された「わたし」の一人称によってお話は進む。

ただし幽霊になった「わたし」の視点ではなく、いわば群像劇を描くように、健と弥生と大人たちを一人称の「わたし」の視点で描いたのは、他の小説にはあまり見られない手法だ。

文庫の解説でも触れられているが、小野不由美は「わたし」という自称を持った神の視点、と評価した。

ただ、この解説に付け加えることがあるなら、まったく新しい手法である・・という評価は少し違う。

おそらくアマチュアの文芸同人誌や学生作家の作品の中にも同様な手法は多数ある。

乙一という作家の発想のレベルについては、はっきり言ってしまえば若くて稚拙な臭いがする。

文学を知らない人間の持つ、まだ擦れていない純粋な発想力が、返って乙一の作品を生き生きとさせている、といってもいいくらい。

それくらい、若いなあ・・・と。

ただ、乙一の優れているところは、この特殊な一人称の語り口がこの小説の中で大きく成功していることだろう。

小野不由美が評価した「神の視点」が、もしなければ、この小説自体は幼稚な発想で描かれた、ありふれた小説になるところだったのではないか?

小説の作られ方としては、夏、花火、死体、というキーワードを軸に、物語の進行上も複線がたくさん張られてあって、王道をゆく書き方であり、構成力は高く老練なくらいまとまりが良く美しい。

ホラーでもサスペンスでもないような、坦々とした「わたし」の語り口が新鮮でいい。

結末もまあ悪くない。これに関しては良くもないが・・。


創作の技術は高く、ボクが冒頭に書いたようにやはり力作だ。

今年の夏、乙一の『夏と花火と私の死体』をオススメしたい。
2006/08/08 12:38|ロンド・セレクションTB:0CM:2

2006 サマーバケイション。海と山と。 

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午前11時頃尼崎を出発。別宅までは一時間半ほどの道のり。今年の遅ればせながらの梅雨明け初日。爽快な青空が広がった。明石大橋は何度渡っても気持ちがいい。
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海が好きだった祖父の墓は、海のそばにある。墓苑横の堤防に駆け乗ると、そこには一面のカモメの群れ。ボクの姿を認めると一斉に飛び立ち、その様がまた壮観だった。
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祖父の墓からの眺め。ここで眠りたいとした祖父の気持ちが想像できる。
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一転、近くの海水浴場へ。今年初めての海。照りつける太陽。焼けつく砂。波打ち際に寝転がり空を見上げた。
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なぜか潜水艦が(笑)物々しいムードはなく風景に溶け込んですらいた。
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山の別宅近くで撮影。以降、昆虫写真を少々。山の中へ来て思うことは夥しい数の生命の豊かさだ。半径30センチを切り出してみて、いったいどれくらいの虫や小動物がいるんだろう。山そのものが生命で、その生命は小さな生命の集合体でできている。その当たり前の事実の前に圧倒されてしまう。

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そう。みんな生きている。生きていることは美しい。
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山の別宅祖母の家の前の小道。ここより上に民家は無い。まだ祖父が生きていた頃、山奥にいくつかある廃屋へ行ったことがあるが、夏場に行けばマムシの餌食となろう(冷汗)
日が落ちるとともに気温が下がり、夜は肌寒いくらいに。さすがにここは避暑地。自然の風に包まれて、久しぶりに安眠できた。
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家の前からは海が見渡せられる。日の出が見たくて5時頃起きて外へ出たら、セミの幼虫が、家の前の石垣をよじ登っていた。
2006/08/01 21:39|PHOTOTB:0CM:4

夏の風物誌 ~花火~ 

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夏といえば、やっぱり花火のような気もする。

関西人、特に梅田界隈をウロウロしている人間にとっては、淀川花火大会だろう。

淀川の河川敷に、なんと50万人もの人が集結する。

なんと50万人である。

ボクの出身の尼崎市の総人口が、そっくり一堂に会したようなもんだ。

とんでもないことだ。

関東ではもっとすごい人が集結する花火大会もあろうが、まあそれはいいとして、つまり花火には多くの人間を吸引する力がある。

別に夏と限らなくてもいいような気もするが、浴衣を着て観に行かねば損したような気分になる。

・・のが一般的だろう。

そういうボクは、実は花火をわざわざ浴衣を着てまで観に行こうとは思えず、これまでの人生で数えるほどしか花火を観たことがない。

いや、正確には観に行かなかった。

淀川花火開催日は、淀川に架る橋の上、電車の車内で数秒間の花火を楽しむ。それで十分だ。

人ごみのクソ暑い中、わざわざ出掛けて行って小一時間ほどじっと空を見続けるのに、耐え難い苦痛を味わってしまう。

最初の10分程度は、キレイだなぁーとか思いつつ、汚れた心が浄化されるなぁーとかいい感じなのだけど、なにしろ飽きる。

そう、ボクはとてもじゃないが一時間以上花火を観てはいられない。

このように、写真や映像で観たい時に観たいだけ、観れるとボクも花火好きになっていただろう。

2006/08/01 21:04|風物詩を語るTB:0CM:0

プロフィール

ろんど

Author:ろんど
高校時代に伝説のパンクバンド『Felicitous Dog』のメインボーカルとして活躍。ライブ活動多数。「今夜はオレのためにありがとう」などのMCで一躍脚光を浴び大スターの座に躍り出た。高校3年の学祭ではトリを務め、全校生徒を完全に魅了した。バンドは高校卒業時解散。
その後デュオ『Power of myth』のメインボーカルとして再び音楽活動に入る。神話的イメージとタンゴ調POPSの融合を試み新しい音楽の創造に尽力、友人、知人、他人、周辺住民の間で一世を風靡した。活動期間わずか4年で解散。
一方、大学在籍一年時に非公認サークル『創作文藝会』を有志4人らとともに創設。初代~3期の会長に就任。文芸同人誌 『ん!?』の編集長として創刊号から第9号まで手がける。
自身も小説、ポエム、エッセイ、旅行記など幅広く投稿し作家としての一面も合わせ持った。淡い青春時代の虚栄心を克明に描いた処女作『はげ』で衝撃のデビュー。『正常な狂人』『路地裏メルヘン倶楽部』『テープスペクタクル』『シルエット』『おやっさんの体験談』『山田X』『光芒の黒』『循環』など次々とヒット作を連発し、ファンタジックな世界観をやさしく流麗な文体で表現した悲喜劇が主に女性読者層のファンを集めた。また自身の旅行記を著した『中国おったまげ探訪記』『インド・ネパールぶったまげ放浪記』などアクティヴ派作家としての一面も持ち、抱腹絶倒で痛快な文体は学生諸君に夢と希望を与えた。詩人としては、銀色夏生をもじったペンネーム 金色なめを で純情恋愛ポエムを次々と発表。学内の話題を総なめにした。他、読書案内の『ろんどのやけっぱち書房』シリーズ、映画紹介の『寝巻きでシネマ館』シリーズなどがある。
第3期目には非公認サークルから大学公認クラブへと昇格させ、大学から予算がおりるようになるやいなや、連日連夜に渡って放蕩の限りを尽くした。
学生時代はインド、ネパール、インドネシア、中国、西欧諸国等海外放浪をライフワークとした。おかげで日本社会に馴染みきれないもどかしさがある。

現在はしがない会社員。一児の父。趣味は散歩と昼寝の他、特にない。座右の銘は『私が自画自賛しなければ一体誰がしてくれよう』である。

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