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旧イリアイ町界隈には『たまりみず』という名のサビ崩れたカフェがあります。そこでは、退屈に閉じ込められた他愛の無い、やっぱり退屈なお話がたっぷり詰まっています。そんなお話たちの一片をごらんになれる地球で唯一の場所。。

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『アルツハイム』 


久々のロンドセレクションです。

もっとも権威あるセレクションだとか嘯いていたわりには、存在自体、すっかり忘れてました(汗)

今回のネタは、『アルツハイム』ウチヤマユウジ

です。

実は2年ほど前の作品なのですが、日々の激務のためか(嘘)こういう優れた作品が世に出たことを見落としていたんですねえ。

はっきり言って面白いです。

こういう笑い、ボクは好きですね。

間の取り方が絶妙だし、表情は細かく描き分けてるし、なにより声優が上手い。

この作品を作った当時、作者のウチヤマユウジ氏はまだ大学院生だったそうです。

声優も自分でこなしているのだとか。

素人とは思えないなあ。

3畳一間のアパートに長年住み着いてチキンラーメンをすすりながら夢を見ても、わからない人には一生わからない。

お笑いって難しい。

同じ道具を使って、同じ材料で、同じ設計図を見ても、出来上がる作品は人それぞれ。

お笑いとか、芸術とかって同じ設計図が見れないから、余計に難しくなってきてしまう。


ま、とにかく彼のウチヤマユウジ氏の才能に乾杯。

これからの活躍に期待のアーティストです。

それでは、YOUTUBEでお楽しみください。







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2007/10/10 01:06|ロンド・セレクションTB:0CM:0

お風呂屋さん的京都案内 

お風呂屋さん


最近では「スーパー銭湯」が各地で相次いで出店し、一大レジャー産業として成長している。

時代性を反映してるせいか、スーパー銭湯の拡大と共に消え行く町のお風呂屋さんを思うと、寂しい気がしてならない。


昭和50年代に少年期を迎えたボクにとって、お風呂屋さんの存在は従兄弟や幼馴染たちで行く遊び場であった。

祖父母の家の近所、従兄弟の家の調度裏手に、一軒のお風呂屋さんがあった。

現在はたった1軒だけになってしまったが、当時は周辺に3軒のお風呂屋さんがあったと記憶する。

サウナや水風呂が好きで、当然のことながらお風呂の中でよく泳いだ。

年配の客に何度か叱られた記憶もある。

湯船に浸かりながら、知らない爺さんからやれ陸軍だのやれ海軍だのと戦争当時の話を聞かされたりしたものだ。

お風呂屋は古代ローマの頃より社交場だった。


「スーパー銭湯」と「町のお風呂屋さん」とでは明らかに異質なものだ。

簡単に言えば、ショッピングモールと商店街の違いのようなもので、単純に規模が大きい小さいというだけではないのである。

人情うんぬんを語るのはボクの趣味ではないが、あえて一言で言うならば、「スーパー銭湯」になくて「町のお風呂屋さん」にあるものはなにかというと、

安堵感

ではないかと思う。

昔のお風呂屋さんには、必ずと言っていいほど刺青を入れた、その筋の人間がいて、子供心にそういう人間を恐れ、緊張していたことを思うと、必ずしも癒しの空間というわけでもない。

ヤクザも含め、色んな人間が風呂に入るという目的のもと、ここへ集まり歓談している様や、番台からの風呂屋の親父の視線などが全て、安堵感という言葉に集約されてくるように思う。

風呂にのぼせきって鼻血を出してぶっ倒れていても、それを無視するような大人はいなかった。

asahiyu-fushimi1.jpg

京都市伏見区『朝日湯』

ボクが思い出したようにお風呂屋さんについての記述を始めてしまったのは、

http://www004.upp.so-net.ne.jp/ofuroyasan-teki/
「お風呂屋さん的京都案内」


のHPを見てしまったからだ。

おおぉ、うちの近所にこんな風呂屋がまだ残っていたんだなあ。

と思った1時間後には、朝日湯の湯船の中にいた。

こじんまりとした小さなお風呂屋さんだったが、演歌が流れる昭和40年代そのままといったレトロ感がいい。

番台におばあさんがちょこんと座り、暇そうに天井を仰いでいた。

どの湯船も狭いが、深い。

ボクが深いと感じるのだから、昔の日本人からするともっと深い。

少しひざを曲げただけで首までしっかり湯船に収まる。

昨今はヒステリックな安全志向で、すっかりこういうお風呂は無くなってしまったが、ボクはこの深さが好きだ。


また、少し背伸びをすれば女湯が覗けてしまえるほど、男女仕切りが低い。

ボクが大きいのか、仕切りが低いのか。

そういうボクは174センチで、現代では特別高いというわけではないのだが。

この仕切りの低さも、スーパー銭湯にはありえない。

見る側も見られる側も、今よりはよほど寛容だったんだろうし、そもそも覗いてやろうとする人間がいなかった、ということだろう。


さて、しばらくお風呂屋さん巡りをしてみようかな。
2007/10/08 23:16|京都市内散策TB:0CM:0

天才 ピカソを語る 

K6024~Guernica-1937-Posters.jpg


先日、京都駅ビル内の伊勢丹で開催されていたピカソ展へ行った。

ピカソの絵というと、ボクは24歳の頃、スペインのマドリッドへ行った際、ついついミーハー心を丸出しにして、別にたいした興味もないのに、とりあえず土産話程度にはなるだろうと、ソフィア王妃芸術センターへ行って大作『ゲルニカ』を観たのが最初の接点だ。

とにかく実物は、想像していた以上に大きな絵で、こんな大きなキャンパスに、よくもまぁひとりで描いたもんだなぁと感心したもんだった。

もちろん、当時その絵を観たとき、まったく『ゲルニカ』製作の裏話を知らなかったというわけではない。

ゲルニカというのは、バスク地方の小都市。

バスクというのは牛追い祭で有名なパンプローナを中心とするスペインの北部地方で、独自の文化を持つ民族だ。

現在は落ち着いているようだが、独立志向が強くテロ行為も頻繁に行われていたらしい。

ピカソはスペイン南部のアンダルシア地方出身者だが、おそらく血統はバスク人であったと思われる。

というのも、ピカソはベレー帽をかぶっていることが多かった。

ベレー帽は本来、バスクの民族衣装である。

血統を重んじる欧州人の特質を考えれば、ピカソがバスク人であるという自意識を持っていたと考える方が自然だろう。

ゲルニカの空爆後、わずか一ヶ月あまりで大作『ゲルニカ』を製作した、という異常な情熱にも素直に頷ける。


・・ただし、これはあくまでボクの想像だ。


お昼前に伊勢丹に到着して、すぐにピカソ展へ行った。

実は、マドリッドで『ゲルニカ』を観て後、パリにあるピカソ美術館へも足を運んだことがある。

青年期に主に描かれた作品を収蔵している美術館で、自信あふれる線から強いエネルギーを感じたことを思い出す。

残念ながら、今回伊勢丹の「えき」美術館で催されたピカソ展出品作品の中では、なにかしら当時感じたエネルギーを感じることができなかった。

ピカソはその芸術性の高さから、天才の代名詞とされることが多いアーティストだ。

しかし、その天才の顔の裏側には、生涯におよそ13,500点の油絵と素描、100,000点の版画、34,000点の挿絵、300点の彫刻と陶器というモーレツな多作の芸術家で、生涯最も多くの作品を残したアーティスト、という別の顔も持つ。


天才とはなんだろう?


ピカソ自身もその問いには答えているが、一言で言えばいつまでも自然体であり続けるということだ。

アーティストにとって、「天才」というのは一般人からの単なる呼称に過ぎない。


天才であろうがなかろうが、作品が評価されようがされまいが、自分には無関係で、自分はただ作品を作り続ける。


なぜ作り続けるのか?


作るのが好きだからだ。

それ以外の理由はないのかもしれない。

ピカソにしてはバランスの悪い作品だな・・・そんな評価も彼にとってはどうだっていいことなんだろう。

一枚の作品を仕上げるのに、18通りのデッサンをしたスケッチが残っていた。

手塚治虫が100ページの漫画を作るのに300ページ以上を執筆しているのと同様、好きでなければできない境地。

創作が好きである理由などわからないし、わかる必要もない。

意味を考え始めてから、人は持続が困難になってくる。

ただ、目先のことだけを考えればいい。

ひとつのモノを作りあげることだけに集中する。

人々はこれを天才と呼ぶ。

なぜなら、目先のことだけを考えてばかりではいられないからだ。

日々の政治や経済活動はあっという間に停滞する。

現代人が「天才」に対して持つ、ある意味羨望のまなざしの中には、どこか鬱屈とした疲弊感が漂っているようにも感じられる。

確かに、ひとつのことだけをやって、生きてはいけない。

どこへ行ってもバランスが要求される。

それが良くもあり、また悪くもあるが、いつまでもピカソのような人は大切にしていたいものだ。
2007/10/07 16:02|アートを語るTB:0CM:0

プロフィール

ろんど

Author:ろんど
高校時代に伝説のパンクバンド『Felicitous Dog』のメインボーカルとして活躍。ライブ活動多数。「今夜はオレのためにありがとう」などのMCで一躍脚光を浴び大スターの座に躍り出た。高校3年の学祭ではトリを務め、全校生徒を完全に魅了した。バンドは高校卒業時解散。
その後デュオ『Power of myth』のメインボーカルとして再び音楽活動に入る。神話的イメージとタンゴ調POPSの融合を試み新しい音楽の創造に尽力、友人、知人、他人、周辺住民の間で一世を風靡した。活動期間わずか4年で解散。
一方、大学在籍一年時に非公認サークル『創作文藝会』を有志4人らとともに創設。初代~3期の会長に就任。文芸同人誌 『ん!?』の編集長として創刊号から第9号まで手がける。
自身も小説、ポエム、エッセイ、旅行記など幅広く投稿し作家としての一面も合わせ持った。淡い青春時代の虚栄心を克明に描いた処女作『はげ』で衝撃のデビュー。『正常な狂人』『路地裏メルヘン倶楽部』『テープスペクタクル』『シルエット』『おやっさんの体験談』『山田X』『光芒の黒』『循環』など次々とヒット作を連発し、ファンタジックな世界観をやさしく流麗な文体で表現した悲喜劇が主に女性読者層のファンを集めた。また自身の旅行記を著した『中国おったまげ探訪記』『インド・ネパールぶったまげ放浪記』などアクティヴ派作家としての一面も持ち、抱腹絶倒で痛快な文体は学生諸君に夢と希望を与えた。詩人としては、銀色夏生をもじったペンネーム 金色なめを で純情恋愛ポエムを次々と発表。学内の話題を総なめにした。他、読書案内の『ろんどのやけっぱち書房』シリーズ、映画紹介の『寝巻きでシネマ館』シリーズなどがある。
第3期目には非公認サークルから大学公認クラブへと昇格させ、大学から予算がおりるようになるやいなや、連日連夜に渡って放蕩の限りを尽くした。
学生時代はインド、ネパール、インドネシア、中国、西欧諸国等海外放浪をライフワークとした。おかげで日本社会に馴染みきれないもどかしさがある。

現在はしがない会社員。一児の父。趣味は散歩と昼寝の他、特にない。座右の銘は『私が自画自賛しなければ一体誰がしてくれよう』である。

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