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旧イリアイ町界隈には『たまりみず』という名のサビ崩れたカフェがあります。そこでは、退屈に閉じ込められた他愛の無い、やっぱり退屈なお話がたっぷり詰まっています。そんなお話たちの一片をごらんになれる地球で唯一の場所。。

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高速船 トッピー 

先日、鹿児島から屋久島を結ぶ高速船トッピーが航行中、鯨のような生物に衝突して、数十人のケガ人が出た事故があった。

ぶつけられた鯨のような生物も、無事ではすまなかっただろう。

なんでも時速80kmの猛スピードで海の上を走るそうだ。


・・というか、ボクは以前トッピーに乗ったことがある。

学生時分のとにかく暇なときだった。

ちょうど、『もののけ姫』が巷では流行ってて、流行ついでに暇なボクは屋久島まで来てしまった。


夏休みだった。


お金は無いが、暇はたっぷりとある学生時代のこと。

大阪は南港から、夜7時発のフェリーに乗り込み、二等船室でバックパックを枕にザコ寝をし、朝早くに宮崎港へ着いた。

宮崎シーガイアで遊んで行こうにも金が無く、宮崎からそのまま鹿児島行きの特急に乗った。

2時間くらい電車で揺られたあと、鹿児島港からトッピーに乗ったのだった。

確かに速かった。

耳の奥がつ~んっとするようが感じがあって、水しぶきを上げながら、猛スピードで水の上を走る。

突然、鯨やシャチやアザラシが飛び出してきたら、間違いなく跳ねとばしてしまうだろう。

などと、トッピーに乗っていたとき、やや不安であったことを覚えている。

そして案の定、起こった事故だ。

目視以外では防げないものなんだろうか。

海のことについては何も知らないが、こんな疑問が無いでもない。


屋久島までの間に、途中種子島に寄港する。

へ~、これが鉄砲伝来の種子島かあ。とか思いつつ、何もなさそうだったので、途中下船は避けた。

はっきりと覚えていないが、鹿児島から屋久島までは2時間近くかかったように記憶する。

トッピーは、なにせ窮屈な船内で、全席シートベルト着用を義務付けられており、シートに腰掛けたまま、ひたすらに退屈だった。

退屈だった記憶は、わりとはっきり残るもんだ。


屋久島では一週間ほど滞在した。

とくに何をしたわけでもない。

海岸の岩場で湧く温泉に入ったり、人気の無い浜辺で海水浴
したり。

水がきれいだった。

川も海も透き透っていた。

碧い海に浮かんで、ぼんやり一日中過ごした日もあった。

レンタカーを借りて島を一周したり。

計画性はゼロだったが、さすがにユースの予約くらいは取っていた。

4人くらいのザコ部屋に、全国から集まった学生や二十代半ばの会社員やらがいて、なんだかんだで打ち解けて、夜遅くまで酒を飲んで話し込んだもんだった。

そのうち何日かして、酒がすすんだ拍子かどうか、縄文杉を見に行こうということになった。

片道5時間の登山だった。

行って帰ってくるだけで10時間。

ボクはどっちでも良かったんだが、せっかく屋久島に来たことだし、この機会を逃せばもはや二度と来ることはないかもしれない。

深夜の2時ごろまで酒を飲んで騒ぎ、朝5時に起きて車で登山口へ向かった。

山を登り始めたのは6時半だった。

歩きにくいトロッコ道を延々と、足元を確かめつつ、常に口を動かしながら歩く。

かなりの距離を歩いたと思う。

途中、鉄橋があったり、危険な箇所がたくさんあって、高所がダメな人は歩けないだろう。

3度ほどヘビと遭遇して、びっくりして飛び退いたりした。

トロッコ道をひたすらに歩いたかと思うと、今度はひたすらに登り。

道無き道をどんどん進んでゆく。枝に結んである赤いリボンだけが頼りだ。

日本じゃないみたいな、見たこともない植物と原生林。

岩はそこいらじゅう苔蒸していて、『もののけ姫』で観た世界のままだった。

かつての本州も、こんな原生林に恵まれていたんだなあ。

縄文杉までの途中、ウィルソン株・・だったか、大きな大きな屋久杉の切り株があって、なんとその中にぽっかりと8畳間ほどの部屋があって、祠になっている場所があった。

この祠の中にも湧き水があって、ペットボトルに水を入れて飲んだ。

美味かった。


同行の会社員が、どういうわけか用意がよく、聴診器を持っていた。

「それって、なにするんですか?(笑)」

「ん?木の音を聞くの」

「木の音?」

「まあいいから聞いてみてよ」

言われるままに、聴診器を木に当てて耳を澄ませた。

ゴォーっという音がした。

「これなんの音ですか?」

「水を吸い上げてるんだよ」

「そっか。こいつらも生きてるんだなあ」


ボクらは片道5時間半もかかって、なんとか縄文杉に到着した。

これが縄文杉かあ。

感慨深い・・というわけでもなかった。


樹齢7000年とも言われる島の主。

まだ生きてるんだなあ。

屋久島は雨が多くて、地中の養分が流れ熱帯雨林のように木々は深く根を下ろさない。

だから木々の成長がすごく遅いんだ。

細かく細かく年輪を刻んでゆく。

木の寿命というのは『物理的な時間』じゃなくって、『成長に合わせた時間』なんだね。

縄文杉は確かにとんでもなく大きな木だけど、年齢からするとずいぶん小柄なんだ。


一時間ほど、弁当を食べたり休んだ後、もと来た道を帰った。

5時間半もかかって、そろそろ疲れが出てきて、ダルいなぁとか愚痴愚痴言いながら、麓に着いた頃にはすっかり夕暮れになっていた。

そのまま車で温泉に直行して、みんなでビールを飲んだ。

格別に美味かった。

縄文杉と出会って、世の中のことが、少しだけわかった気がしたものだった。
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2006/04/14 15:08|ニュース&時事を語るTB:0CM:0

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プロフィール

ろんど

Author:ろんど
高校時代に伝説のパンクバンド『Felicitous Dog』のメインボーカルとして活躍。ライブ活動多数。「今夜はオレのためにありがとう」などのMCで一躍脚光を浴び大スターの座に躍り出た。高校3年の学祭ではトリを務め、全校生徒を完全に魅了した。バンドは高校卒業時解散。
その後デュオ『Power of myth』のメインボーカルとして再び音楽活動に入る。神話的イメージとタンゴ調POPSの融合を試み新しい音楽の創造に尽力、友人、知人、他人、周辺住民の間で一世を風靡した。活動期間わずか4年で解散。
一方、大学在籍一年時に非公認サークル『創作文藝会』を有志4人らとともに創設。初代~3期の会長に就任。文芸同人誌 『ん!?』の編集長として創刊号から第9号まで手がける。
自身も小説、ポエム、エッセイ、旅行記など幅広く投稿し作家としての一面も合わせ持った。淡い青春時代の虚栄心を克明に描いた処女作『はげ』で衝撃のデビュー。『正常な狂人』『路地裏メルヘン倶楽部』『テープスペクタクル』『シルエット』『おやっさんの体験談』『山田X』『光芒の黒』『循環』など次々とヒット作を連発し、ファンタジックな世界観をやさしく流麗な文体で表現した悲喜劇が主に女性読者層のファンを集めた。また自身の旅行記を著した『中国おったまげ探訪記』『インド・ネパールぶったまげ放浪記』などアクティヴ派作家としての一面も持ち、抱腹絶倒で痛快な文体は学生諸君に夢と希望を与えた。詩人としては、銀色夏生をもじったペンネーム 金色なめを で純情恋愛ポエムを次々と発表。学内の話題を総なめにした。他、読書案内の『ろんどのやけっぱち書房』シリーズ、映画紹介の『寝巻きでシネマ館』シリーズなどがある。
第3期目には非公認サークルから大学公認クラブへと昇格させ、大学から予算がおりるようになるやいなや、連日連夜に渡って放蕩の限りを尽くした。
学生時代はインド、ネパール、インドネシア、中国、西欧諸国等海外放浪をライフワークとした。おかげで日本社会に馴染みきれないもどかしさがある。

現在はしがない会社員。一児の父。趣味は散歩と昼寝の他、特にない。座右の銘は『私が自画自賛しなければ一体誰がしてくれよう』である。

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